ありがとう、だいすきだよ

2019年9月5日。大好きな大好きな私の大天使、錦戸亮ちゃんの退所が発表されました。

覚悟をしてなかったかと言われると、嘘になる。去年の4月から、何があってもおかしくないと思っていたから。「亮ちゃんのことを信じている」、その「信じている」は、「辞めない」ということを信じているわけではなく、どんな形になったとしても亮ちゃんが選ぶ道を信じる、ということで。だからといって、今年の春先から何度も何度も気が狂いそうなほど出てくる脱退報道を鵜呑みにしているわけでもなかった。来るかもしれない、来ないかもしれない「そのとき」まで、いつも通り過ごす。そのときが来てから考えるけれど、どうなっても良いように心の準備だけはしておく。それだけでした。

:::

私の認識する範囲では、界隈はそこそこに荒れていたと思います。そもそもこのような報道の出る前、昨年の4月から、みんないろいろなことに関して過敏になっていたんですよね。さまざまな感情の渦に巻き込まれて、心無い言葉を目にすることも、それに対抗して同担が語気を強めることも、たくさんあった。それがあまりにも苦しくて、少し心を別の場所に持っていこうと思って……それが私のJr.沼落ちの始まりでした。ここで詳しく語ることはしませんが、Jr.チャンネルからSnow Man佐久間くん経由でTravis Japan七五三掛くんに夢中になり、七五三掛担と掛け持ちをする!と決めたのが今年の4月のことでした。

私にとってはそれが功を奏したのか、憑き物が落ちたような気持ちで亮ちゃんとエイトを応援できていました。ネガティブなことを考えなくなって、私のびっくりするぐらい重苦しい愛から、「苦しさ」の粘り気が消えていくのを感じていた。余計なものも一切見なくなり、亮ちゃんとエイトに対して純粋な「好き」と「楽しい」が残った、そんな半年間でもありました。

:::

そして、私がこれからどうするのか。亮ちゃんの戻りは待つけれど、亮ちゃんのいないエイトを見られる気はしないので、エイトからは降りることにしました。Twitterでは宣言してないけど、ここで先に言います。笑

私が「担当」「自担」と呼ぶのは、あくまでジャニーズにいる人だけです。だから、10月から「錦戸担」ではなくなってしまう。亮ちゃんのことが好きなことには何の変わりもないのだけれど。

これからの私は、亮ちゃんのことが大好きな、七五三掛担でありトラジャ担です。ジャニーズでない人を「担当」とは呼ばないことはジャニヲタとしての私の考えで、自担のいないグループを見られる気はしないのでエイトからは降りる。そしてジャニーズは元々応援していたトラジャ一本にする。思いの外早くこのときが来てしまったんだ、と思うと、身を切られる思いがしますが、これが私の結論です。

:::

物凄く淡々と書いていますが、死ぬほど泣いた二日間を経ながら気持ちに整理をつけた、そのアウトラインがこれです。

ファンにとってのアイドルは趣味だけれど、アイドルにとってのアイドルは人生で。だから、ファンの願望だけでアイドルの人生を縛ることはできない。そして、アイドルの幸せとファンの幸せは、必ずしも一致するとは限らない。彼らとファンの幸せが一致している間は共に歩んでいきたいけれど、それが一致しなくなったとき、結局は本人の選択が全てだと私は思っています。ファンはアイドルの人生に責任を取れないし、アイドルに限らず、自分の人生の舵取りをするのは自分自身なんですよね。本当に本当に寂しいし苦しいしこの二日間何度泣いたか分からないぐらい泣いたのですが、 ファンの感情とアイドルの進退は、本当は全く別の次元にある話なんですよね。アイドルの進退によってこちらの感情が動いているというだけの話であって。だから、私の感情を彼を責める理由にすることは、どんなに苦しくてもするもんか、と、思っていました。

:::

ここのブログの更新は、一旦ここでお休みしようかな、と思っています。2013年に開設して、ゆるゆると文章を書き綴る中で、たくさんの出会いがありました。どこかで似たような文章を書いているかもしれませんが、そのときはまたよろしくお願いします。こんなこと言ってひょっこり出てくるかもしれませんが、予定は未定です。笑 今まで、本当にありがとうございました。

 

だって今きみで幸せだから

錦戸担と七五三掛担を掛け持ちし始めた私の決意表明的な話。

:::

一生背負う覚悟が無くたって お手軽に好きになっていいよ

私生活とか色々あって だって今は私でしあわせでしょ   --ZOC「チュープリ」*1

「担当」って何だろう、ということを、折に触れて考えている。担当という概念に幾度となく振り回されながらも、私は担当を名乗ることを止められない。これは人生の2/3をジャニヲタとして過ごした者の意地なのかもしれない。

エイト界隈で言うと、あるとき、担当呼びは止めよう、という流れが一時期巻き起こったことがあったように思う。○色エイターとか、○○er*2とか。でも、私はそれに上手く馴染めなくて(ジャニヲタになった時から担当呼びに慣れ親しんでいたのもあるし、自分はエイター以前にジャニヲタであるという認識だったんだと思う)担当呼びをやめることはなかった。きっとこれから先も、それは変わらない。担当はジャニヲタのアイデンティティ、それは割と共通認識的なものなのではないかな、と思っている。

それでも「担当」を名乗ることには勇気がいる。担当を名乗ることは、それこそ「一生背負う覚悟」じゃないけれど、ちょっとやそっとじゃ剥がせないラベルを自らに貼ることだと思っている。

アイドルのおたくは、刹那の快楽を縫い合わせながら生き長らえていると思っている。「ずっと」も「永遠」も無い中で、その一瞬一瞬を繋ぎ合わせて先の幸福を絶えず詰め込んで、擬似的に永遠を作ろうとしている。片足が沈む前にもう片足を前に出せば沈まない、というのと同じ理論で。だから私は楽しくなければおたくはやっていけない、という気持ちでフランクに推し増しを繰り返していた。本当はめちゃくちゃ病みやすいおたくだけれど、病みたくないから常に楽しいことで日々を埋め尽くしていたかった。それでも「担当」を増やすことは、やっぱりハードルが高くて。そもそも私が「担当」にしたいと思う人は、しめちゃんに出会うまで、もうずっと亮ちゃんただ一人だった。

亮ちゃんについては、もう19年も前から好きな人だし、おたくに戻るときに心に決めたこともある。2005年、おたくでいることが本当に辛くて、まだ子供だった私にはとても耐えられなかった。だから担降りでもなくおたくをやめた。でも、それは、亮ちゃん本人のせいではなくて、だから、彼が彼の手で私の愛を殺さない限りは彼に着いていく、と決めて、担当に戻ることを決めた。もうそれこそ「一生背負う覚悟」に似たものを心に決めて。

しめちゃんをもう一人の担当にしたいと思ったとき、一生背負う覚悟ができていたかどうかは分からない。しめちゃんのことがめちゃくちゃ大好きだけれど、亮ちゃんに降り積もった15〜6年分の重みとはやっぱり違う。あるのはただただ「好き」の気持ちだけで、期間や経験が圧倒的に足りない。比較するものじゃないのは分かってるけれど、トラジャも歴史の深いグループで、本当にいろいろなことがあって、でもこの目で見ることができない限りはその上澄みだけを掬うことしかできなくて。トラジャとしめちゃんを好きになってから、彼らの過去の仕事を少しずつ遡って、長い歴史を勉強して。でも、その時期に自分が彼らの担当をしてなかったことには変わりない。それを「トラジャ好き!しめちゃん好き!」の気持ちだけで突っ走って良いのかな、なんて、考えていた。もう見ることのできない、話に聞くことしかできない「あの頃」を知らない私が、トラジャ担、七五三掛担を名乗っていいのかな、と、思いながらも、でも「好き」の気持ちには勝てなくて、腹を括った。ド新規でも好きな気持ちに胸を張ろう、知らないことは一つずつ知っていこう、と決めて。だから私は今エイトとトラジャを掛け持ちし、亮ちゃんとしめちゃんの二人を担当にしている。

それくらい、ジャニヲタ文化の「担当」は、重い。少なくとも私にとっては。だから、ドルヲタ文化で言うところの「推し」という言葉が本当に便利だと思ったし、個人的な感覚では、ファン<推し<担当の順に重いと思っていて。だから私はトラジャを好きになってしばらくの間、彼らのことを「推し」と呼んでいた。

しめちゃんのあんなところが好き、こんなところが好き、はたくさんあるけれど、知らないことが多すぎて分かったような口はきけない、と思ったり、無知による解釈違いに怯えたり、でもそれは亮ちゃんにも言えることで、15〜6年ファンやってたって本当のことなんて分からない、と思ってしまうから、亮ちゃんのことをこういう人だと切り分けることなんてできないし、やっぱり解釈違いに怯えていたりして。

だから、どちらにせよ新規古株中堅出戻り問わず、解釈違いは存在するんだろうな、と思う。アイドルの人物像なんて、長く応援していようが何だろうが、本当のことは分からない。知っているのは顔と名前だけだと割り切るようになった。ただ、錦戸担としての私が、彼や当時の関西Jr.のことやエイトが8人だった時代、亮ちゃんがNEWSと掛け持ちをしていた時代を知らないファンが増えていくことを実感したときに一抹の淋しさを感じたのと同じように、私はトラジャの人数変遷も兄組弟組もユニットの兼任も、文字の情報でしか知らないファンで。実際にこの目で見たものではないものを、知ったようには語れない。

でも、ここ最近、おたくでいることに一抹のしんどさをじわじわと感じていたところに現れたトラジャとしめちゃんのおかげで、エイトを応援することもまた楽しくなった。以前にもちらっと書いたとおり、ネガティブなことを考えてしまいそうになる頭をトラジャとしめちゃんに割いているから。彼らがある意味での逃げ場になっているんだということは理解しているし、心の癒しを求めてJr.界隈に足を突っ込んだのは事実で。だからしめちゃんに「だって今俺で幸せでしょ?」って言われてるような気持ちになってしまった。間違いない、間違いなく私は今しめちゃんで幸せだ。

そして、しめちゃんの沼に落ちて、本格的にしめちゃんのことが日々好きになっていくうちに、担当を増やすかどうするか、本当に迷って迷って迷っていた。私個人としては「担当は一人じゃないといけない」という感覚はあまり無いものの(「好き」は多い方が楽しいという感覚で生きてるのと、そもそも「好き」の形はそれぞれの自由だと思っているので)割とそうではない人の方が多いのかな、と思ったり、本当に一途な同担さんがめちゃくちゃ多いから、そういうところで迷いが生じていて。あとは、単なる新規ハイなんじゃないか、と、危惧していたところもある。

日に日にしめちゃんのことを思う気持ちが大きくなっていって、でも掛け持ちに踏み切るか迷っていたとき、ずっと大森靖子ちゃんの「VOID」を聴いていた。そして、亮ちゃんを思ったときに刺さった箇所とは違う歌詞が心にざくざくと刺さって、それは、当時の自分のしんどさについて、しめちゃんに救いを求めていたからだと理解している。

僕じゃ満足できなかったなら明日忘れていいから I WANNA BE YOUR PINK PINK ROLLING STAR

どうせ僕のことBABY 捨ててしまうのさ だから僕とゲームで負けちゃう前に リセットボタン押していいよ 逃げるの下手な君 特別ルールさ   --大森靖子「VOID」*3

聴きながらひたすらしめちゃんのことを考えて「忘れるわけないじゃん捨てるわけないじゃん、リセットボタンなんて押さないし逃げない」って、何度も何度も思った。そして先日の推し増しブログに繋がる、というわけで。その後、冒頭の「チュープリ」の歌詞を見て、今しめちゃんのことが好きなら、その気持ちに正直になろう、と、改めて腹を括った。すごく個人的な話をすると、ちょうど4月しめまるの更新日にめちゃくちゃ体調を崩してしまって「がんばれしめ担!☆」の言葉に「私もしめ担になってしめちゃんに励まされたい」という欲望が頭に過ったのも踏み切るきっかけになったのかもしれない。

そして、靖子‬ちゃんの言葉は凄いな、と、やっぱり思ってしまう。‪アイドルおたくとしての自分を、何度も救ってくれている。本当は「好き」の在り方なんて、誰かに縛られるものでもないのに、周りのことを気にして好きだと感じているものに素直にならないのはやめよう、と思った。

そして、私は、今までいかにどろどろに煮詰まった重苦しい愛をこれでもか!と亮ちゃんに向けていたのか、ということを、改めて思い知った。しめちゃんとトラジャを好きになって数ヶ月が経ち、すっと何かが抜けた感覚がして、心が軽くなって。亮ちゃんのことが好きだからこそ、強い風当たりや逆風や心無い言葉に傷つき苦しんでいたのが、しめちゃんとトラジャを好きになることで感情が濾過されて、亮ちゃんとエイトに対しても「好き」と「楽しい」の感情だけが残ったような気がしている。それは言い換えれば気持ちが少し軽くなったのかもしれない、でも、重い愛を持って楽しいうちは良いけれど、それで自縄自縛になるぐらいなら、その重い愛を少し降ろして、別に分けることもやぶさかではないのかも、と今になってみて思う。15〜6年分降り積もった激重の愛だよ、少し降ろしても重いことには変わりないよ、とか。

そしち、腹を括った以上、錦戸担のラベルも七五三掛担のラベルも、簡単に剥がす気はさらさらないけれど。亮ちゃんへの「好き」は、長い間手元で大切に温めてきた灯火であることは間違いないし、しめちゃんへの「好き」は、これから手元で温めていく新しい灯火で。少なくとも今、私は、幸せで楽しい。それが何よりも正義なのかもしれないな、と、思ったりしている。

 

北風は吹雪くのを止め カシオピア輝いて

タイトルはGOING STEADY銀河鉄道の夜」から。今回はゆるゆる雑記です。

先日、ラジオでトラジャの中村海人くんが「夜王子と月の姫」を流していて、そのあたりから私の中で空前の峯田和伸ブームが来ていて。うみくん銀杏聴くの…!?とか思うと胸が熱くなってしまった。やっぱり銀河鉄道の夜は超名曲だと思う。「さくらの唄」が大好きで、あのアルバムに収録されてる曲はどれもこれも超大好き。「BABY BABY」も「佳代」も「もしも君が泣くならば」も「愛しておくれ」も。というかもう全部大好き。

亮ちゃんも銀杏BOYZ聴く人だしね、というか亮ちゃんは同世代だしゴイステか銀杏かその両方かは通ってる人多いもんね。私も然り、ですが。もう何回でも言いますが「言ったじゃないか」で峯田さんからの楽曲提供を受けるきっかけを作った亮ちゃんのことが本当に誇らしい。

:::

Twitter、ゆるりと情報収集のために使ってはいるものの、低浮上気味になっています。アカウントを取ったのは、古くからの友人数名に背中を押されたことと、GR8ESTに入って亮ちゃんとエイトのモチベーションが物凄く上がっていたから、そのテンションで。

本当にありがたいことに、反応を下さったりお話をしてくださるフォロワーさんも増えたのですが、元々長文書きなので言いたいことが140文字に収まらない。収めようとするとニュアンスが変わってしまって、それを伝えたいニュアンスになるまで推敲する→結局気に入らなくて下書きに入れたままになる、または字数を削ることを諦めてスレッドにするものの、大抵自分の本当に伝えたいことよりも前置きや補足の方が伸びたりする、という。なので、結果的にブログの更新頻度が上がったんだと思います、おそらく。はてなブログへのお引越しはもう少し早くやればよかったな。家でPCを頻繁に触れる環境に無くて、スマホからの更新もままならなかったから、アプリがあって良かった。

Twitterなんて、そこまで考えて呟くものでもないのかもしれない。それでも、自分の言葉を世に放つときに、可能な限り自分の意図とずれが無いようにしたいし、不用意に誰かを傷つけたり心を曇らせたりしないような文章を書きたい、と思うと、呟くことなんてそんなに無くて。何てことない日常的な話もするけれど、それはポジの要素が強いものか当たり障りの無いものかのどちらかで、基本的にはきちんと練って、出してもいい、と思ったものを出しています。どうにも私は強い言葉を使うのが上手くなくて、それは、自分の考えていることは自分の中で揺るがないことだったとしてもそれが全てではないし、それを字面だけで見たときにどんな印象を受けるんだろう、と思ってしまうと、もうめちゃくちゃにオブラートに包んでしまう。

誰かを傷つけたり、誰かの心を曇らせてまでオープンスペースで言わなければいけないことは余程のことが無い限りは無い、ということが、私がずっと思っていることで。それでもきっと意識しないところで何かをやらかしている可能性もあるのかな、と思ったり。そんなことを考えていると、何となく低浮上になったりして。

まぁ端的に言えば、そんなに向いているツールでもないんでしょうね。笑 薄々理解していた、というか、元々やってなかった理由って「向いてないだろうから」ってことだったので、やっぱりか、というところです。笑

:::

少しだけ先日の推し増しブログに書ききれなかったことを。

ここまでしめちゃんの沼に落ちてしまったのは、4/18がきっかけだったのかな、と思ったりしました。トラジャが気になり始めてから、意識してジャニウェブを見たのが4/18のしめちゃんの更新で。そしてその日のとらちゅーぶが七五三掛トリセツクイズ*1で。しめちゃんのことが気になり始めたばかりのところで、怒涛の供給で背中を強く押された日だったんだなぁと思います。

とらまる*2で、しめちゃんが4/18の更新で「がんばれしめ担!☆」と書いていたのを見たときに、「これ、しめちゃんの担当さんは凄く嬉しいだろうな」と感じて。その辺りからじわじわと沼にはまっていたんだろうな、と思っています。5/18の更新でも書いてくれてたのを見て、凄く嬉しくなったのも。

ジャニで担当をがっつり掛け持ちするの、初めてかもしれないな。嵐のデビュー2年目ぐらいにゆるっと亮ちゃんと掛け持ちしてたけどすぐに亮ちゃんに降りちゃったし、副担として田口くんを見てた時期はあるけど、あくまで副担だしな。

だから、担当が二人いる状態ってのは、ジャニヲタ20年選手にして初めてだったりしています。自分がそんなに器用な方ではないから、掛け持ちをして上手くできるのかな?と思ったり、あとは、掛け持ちをよく思わない方もいるんだろうな、と思うと、なかなか踏み切れなかったところもあって。

でも、好きになってしまったものは仕方ないし、私の「好き」は誰かのためではなく自分のためにあるし、心のオアシスを求めるような形で辿り着いたとはいえ、今、しめちゃんとトラジャを好きになって凄く楽しいので、それに身を任せてみようかな、と、思っています。

:::

というわけで、今回はこの辺で終わります。BBJの見城樹に関するエントリはいつ書こうかな!

*1:https://youtu.be/eHUuZZ5ybiI

*2:ジャニウェブのトラジャのページ

アイドルとわたし

私はそこまでできた人間ではないけれど、だからこそ、アイドルの楽曲に今物凄く救われている面がある。アイドル楽曲の良いところは、「寄り添ってくれる」感覚があるところだなぁ、と思っていて。それは、ポジもネガも両方あって、双方の観点から心に寄り添ってくれる。そして、今回は、私が「今」聴いている(私の気持ちに寄り添ってると感じている)アイドル楽曲を書き連ねていく、ある意味記録のようなレコメンドのような、そんなエントリです。私の今の気持ちと、その気持ちに寄り添うアイドル楽曲。なぜこんなエントリをこのタイミングで書いているかは、ご想像にお任せします。笑

言及しているのは女子アイドルの楽曲ばかりです(おたく的な観点の話はあります)。そして、もし興味がありましたら、そのまま読み進めていただければ、と思います。それでは、どうぞ。

 

続きを読む

笑わなくっても余裕で天使さ

月曜日のトレースが本当に毎週楽しみで、1〜3月は繁忙期にもかかわらず、毎週何とか21:00までには帰宅しています。昔だったらあっさり諦めて残業してたと思うんですが、真野主任がかっこよすぎて好きすぎるからリアタイしたいって気持ちが本当に強くて、それが仕事へのバイタリティにもなってる気がします。

当初トレースの情報が発表されたときは浮かれ浮かれて「礼二きゅん♡」「礼二くん♡」なんて呼んでたのですが(そしてドラマの情報が発表されてすぐに原作を一気に買ったのですが、原作の真野さんはすごく可愛らしいところの多いキャラだったもので、そんな呼び方をしたくなってしまった)キービジュアルが解禁されるとこれがまた素晴らしく男前で「礼二きゅん♡なんて呼んでいいの…??」ってぐらい圧倒的な美しさと迫力で。そしてドラマで見た亮ちゃん演じる「真野礼二」は、理性的で冷静、更に大人の色気付き。そして、ノンナちゃんに対しても、引っ張る、諭す、褒める、きちんと背中を見せている。その様子に、もうただただ私も部下になってお仕えしたい…!!という気持ちが強くなってしまった結果「真野主任」と呼ぶことにしました。というか、「真野主任」とお呼びしたいんです。。笑 ただあまりにも真野主任呼びを貫きまくってるので、Twitterで「真野主任」って検索するとやたら自分のツイートばかり出てきて。でもそれはそれでちょっと面白い。かも。

真野主任のかっこいいところ可愛いところあれこれありすぎて全くまとまらないけれど、これだけ亮ちゃんの持ち前の男前さや色気を前面に出した役柄ってすごく珍しい気がして。亮ちゃんは、その作中で役柄として生きることができる人だからこそ、その溢れ出るオーラや色気のスイッチを切った役柄を演じることも多くて。でも、今回の真野主任は、その持ち前のオーラや色気を全面に押し出した感じの演出がなされてるなぁ、という感じがする。7話とか、それを特に感じたというか、副音声でずっとぽやぽやふわふわしたおしゃべりを繰り広げる亮ちゃんと、画面上にはあまりにもかっこいい、男前全開な真野主任がいて、とにかくかっこいいと可愛いの洪水で感情が忙しくて。亮ちゃんの持つ「男前さ」「オーラ」「色気」を全面に押し出すとこうなるのね、、と、ぽやぽやりょおちゃん♡とのギャップで更に感じたことでした。

もうあと1ヶ月経たないうちに最終回が来てしまうのが寂しくて仕方がない。真野主任ロスになっちゃうだろうな、きっと。

:::

すばるくんのこと、私には何も難しいことは分からない、でも本当にあの4月からいろんなことがありすぎて、それこそ、愛が重い系溺愛型錦戸担の私には、何というか、もどかしくて苦しいことも多くて。

ただ、あの7月以降、6人のエイトはひたすらに前に進み、そして、私は9月にようやくライブに入り、そこで彼らの進む道に着いていく、という思いを強くした。でも、すばるくんがどの道に進んでいるのか見えなかったから、その、猛スピードで前に突き進み続けるエイトに着いていきながら、ちょっとした心残り、というか、どうしているのかな、という気持ちが心の片隅にいつもあって。だから、一人になったすばるくんが、すばるくんの道を歩んでいる、と、この目で見られたから安心したし、だからこそ、それぞれをまっすぐ信じて好きでいよう、という気持ちがより強くなりました。

違う道を歩んでいることは理解していたけれど、実際どうしているのか、今までは分からなかった。でも、こうして姿を見せてくれたことで、心の中にすとん、と落ちた気がしました。すばるくん。すばるくんの歌がまた聴ける日を、楽しみにしています。

:::

タイトルは大森靖子ちゃんの「VOID」*1より。先日MVが公開されて、これがとてつもなく良かった。曲調、歌詞、音の作り方、音楽を聴くときにどこを一番優先するかと言われると、私は多分曲調なんだけど、靖子ちゃんの曲はどうしても曲調と同じぐらい歌詞が心に入ってくる。言葉の使い方が好きなんですよね。

そして「笑わなくっても余裕で天使さ」ってフレーズが、あまりにも大好きで。「天使」という言葉は問答無用で自担に捧げたくなる、錦戸亮は天使だと信じてる私ですが、亮ちゃんは、いつも笑顔でしなやかに諸々を踏み越えて、私たちの手を引いて未来へと連れて行ってくれる。そんな亮ちゃんが、亮ちゃんの強さが、私は大好きで。そんなん天使でしかないじゃんね、って、いつも思うけれど。いつも笑顔でいてくれてありがとう、強くいてくれてありがとう。でも、「だから」亮ちゃんのことが好きなわけじゃない、もし弱さを見せたとしても、そんなの関係なく亮ちゃんのことが大好きだよ、ずっと味方だよ、って気持ちに、このフレーズがあまりにも合致していて。だから今回のタイトルに使わせてもらいました。あ、あと、真野主任はあんま笑わないけれどそれでも余裕で天使だからっていうのも一つあるけど。笑

:::

はてなブログにお引越ししてアプリを入れてから更新がしやすくなったので、何かあれこれ書いてる。東京に引越ししてからの定浮上は、定期的にPCを使える環境に無かったのと、はてなダイアリースマホから更新しづらかったから、、ってのが大きな理由なので、今割と快適になってる気がします。笑

元々文章を書くのは好きだったのですが、書かなくなると感覚が鈍る。Twitterを始めたことで文章を書く機会も増えて、その辺りの手慣らしにもなったのかなぁとも思います。というわけで、今回はここまでで。それではまた。

あなたのことよく知らないけれど

好きになってもいいですか、という話。

単なる「推しが増えた」という話なのですが、亮ちゃんの話でもエイトの話でもなく、Jr.の話をします。大丈夫な方は、続きからどうぞ。

続きを読む